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その襲撃は文字通りの“予期せぬこと”であり、不穏な気配や予兆も何もないままに、唐突に仕掛けられたものだっただけに。襲われた側の混乱は一通りでなく凄まじく。まずは、すぐ目の前にて閃いた強烈な光に視野が叩かれて真っ白に眩んだようなもの。何が何やら訳が判らないまま右往左往しつつも、守らねばならぬ人をいち早く見極めての対処をするしかなく。そんな強襲が収まって、敵が退いてから。さて、あれは一体何だったのかと考察する段になってから、
“そういや姿を現さねぇなって順番で、その不在に気がついたんだったよな。”
今にして思えば、何と巧妙な段取りだったことか。警備の厳しい城内への潜入を果たした連中であり、しかも咒を使ってという意外な強襲を構えたような輩。王族の中、国王でも皇太后でもない、第二王子で、あまり下々にはその存在も知られてはいない瀬那をと、わざわざ狙った彼らだったのへ。陽白の光を統べる御方を目指すとは、これは…邪妖か、もしくは闇の眷属の仕業かと、導師たちならまずはそこへと警戒するのも無理なはく。そうやって…こっちの陣営が何とか先を読もうと立てていた推察がどんどんと逸れる隙をつき、
“奴らは真の目的を着実に捕らえ、掻っ攫ってったって訳だ。”
やっとのことにて現れたもの。これでもまだまだ“全貌”とは呼べない代物であろうけれど。連中の行動のところどころにかかっていた“矛盾”という名の霞が払われて見えたもの。実はその全てに貫かれていた、その目的のための行動であったのだと、今になって揺るぎもしない存在として顕あらわれた“要かなめ”。
――― まさか。
こうまでの手際、段取りにて襲い来た彼らの真の目的が、
光の公主セナ様の守護、
あの白き騎士、進 清十郎殿の方だったとは。
数日前の襲撃の喧噪も、相手の正体を見据えんとして、彼らが辿った、遥かに遠い聖地への旅路さえも。それは鮮やかに一蹴した途轍もない事実の出現であり、
「幸せの青い鳥は、実は我が家におりました…ってか。」
アケメネイの隠れ里にて初めて知った様々な事柄や得たものがなくては、到達出来なかったことでもあるから。無駄な費えをしたとか、笑うしかねぇオチだよなと冗談めかして言っている、金髪の魔導師殿なのでは決してなく。…ただ、
「邪魔だから除いたのではなく。必要だったから連れてった、か。」
桜庭が呟いたその通りだとすれば。
「我らが同志の騎士殿は、
その命には別条なかろうが、
奪還するのはすこぶる難儀だってことがはっきりした訳だ。」
◇
それはそれは厳しい氷雪に覆われる、永き冬の極寒の気配がやっと緩んで。春の足音も間近だった王城キングダムの首都主城。何にも知らないままに日々を送る、城下の町人、城塞周縁の村人たちが。暖かさを日に日に増してく新しい季節の訪れ、様々な命の伸びやかな芽吹きの気配を、その目でその肌で感じて喜んでいる、春の恵みの幸いを実感している最中だっていうのにね。
「………。」
打たれ強さには自信があった、心身共にいづれも屈強強靭な方々が。久々のカウンターを食ってしまったと、打ち沈んで黙りこくってしまっているのも無理はなく。
『この特別な器の中には、闇の眷属を召喚するに必要な、
何がしかの力が…精気エナジーが封じられておるのやも知れぬ。』
ドワーフさんの言によれば、あのグロックスは聖霊の筧さんが言っていたように何物かを導くための道標であるらしく。たとい、的確に招くことの出来る道標があっても、巨大な何かを招こうからには何かと限度があるところ。そこでと。グロックス内部の何がしかの精気とやらへ、生態的な何かが連動せし和子を見つけておき、召喚したものの“寄り代”として、陽界で侭になる“殻器”にするという次第を構えているものやもしれない、とのことで。グロックスそのものはドワーフさんの手になるものではないながら、
「だが、式神や隷奴にするために邪妖や精霊を召喚する手順にも、そういう形式のが基本としてあるからな。」
咒陣を描いたり咒詞を詠唱したりして招いた存在を、陽界で、若しくは光あふれる昼間からでも自在に扱えるようにと、小動物や人形などを準備し“殻器”として与えて宿らせる術がそれであり。となると、召喚のための道具だって数々作って来ただろうドワーフのお爺さんが紡いだ“グロックスの正体”への推測、想定の域を出ないとしながらも、さほど大きく離れてはいなかろう。
――― 闇の眷属を召喚するため、
永の歳月掛けて育みし精気と、それから。
陽世界での活動に支障のない、十分に優れし素養を持つ殻器と。
それが見事、丁度この当世にて揃ったのだとしたら?
それが相手の素性を知る鍵となったとはいえ、単なる骨董品に過ぎなかった、煤けた砂時計が…グロックスという名の忌まわしき正体を明らかにした途端、相手の最終目的までもを明らかにしようとは。しかも、
「まさか あの剣術馬鹿の朴念仁がねぇ。」
白き騎士殿がそのまま“闇の者”だという訳ではない。ただ。あの連中がセナよりも彼を、欲しがっていたという順番だったのはもはや明白。そして、そうである以上、闇の咒との関わりにおける重要な鍵じゃあないかと思ってはいたらしき蛭魔であったらしく、
“道標たるグロックスに反応する和子、召喚せし者への“寄り代”と定められたる存在だったってことかよ。”
それもまた、たったの今さっき ひょいと聞いただけの話ではあるけれど。この大陸にのみ存在せし“咒”という不思議な力の源、大地の守護として、幾星層もの歳月を永らえて来た、精霊ドワーフの言である。それに、
「誇り高き元剣士が、残りの生涯すべて投じてってノリで、大陸中を放浪しながら封印場所を探したのだものな。」
この大陸の出自ではないというのに、人の和子に関わりのある中で最も神聖とされている“陽白の一族”についてを独学で調べたその上、あの聖域の隠れ里“アケメネイ”をやはり自力で捜し当ててまでして、進からグロックスを引き離そうとしたシェイド卿でもあったことが、それを事実だとする何よりの裏付けとなってはいまいか?
「封印されていた素養、か。」
今から20年ほど逆上った頃合いの話。気候が世界規模にて不安定だった時期が続いて、天災にあったり政局不安からの内乱が起きたりした余波から、国を捨ててか逃れてか、新天地を探そうと、大陸から離れる人々も少なくはなかったそうで。
『進はずっと幼い頃に、生まれ故郷である東の大陸から、天災を避けて海へと脱出し、そのまま漂流していたところを王城キングダムの海軍の船に救助された、難民の方々の中にいたとかで。』
確か、高見さんがそんな風に言ってらしたが、その高見さんも同世代の若さだから、人伝てに聞いた話に違いなく。となれば…書類上の彼の故郷とされている大陸の名も、どこかで誰ぞに偽装されたものなのかも知れずで。
「しかも、当人が記憶を封じられていたとはね。」
当人が寡黙なその上、仕える主人もまた、過去の思い出とやらに関してはあまり蓄積を持たない身。遠慮がちなところも相俟って、あまり聞きほじらなかったろうことが、彼の素性を…謎のままだのにそれを不審とされぬまま、覆い隠したままになっていた。
“それに、彼奴はその身を一度再生されてもいるからの。”
光の公主の最初の咒。反魂回帰の咒によって、一旦失われし命の灯火を再生していただいた男だから。たとえつけつけと聞いていたとしても、記憶に欠落があっても不思議はないのだしなんて扱いで、問題視されぬままでいたかも知れない。
「グロックスを聖域へ封じたってトコまでは、シェイド卿の取った策が功を奏していたのにな…。」
そのグロックスが手元になくても“約束の時間”とやらを数え続けていたほどの、相手の執念も半端ではなかったということだろう。
「………。」
物事には往々にして、判ったことで希望が見えて、勢いや弾みがつく事実と、判った以上は難関だと数えねばならぬ、厄介な事実とがあるもので。ドワーフさんから齎されたお話は、どちらかと言えば後者の側の事実を様々に裏付けてしまった訳だけれど。だからといって、凹んでばかりもいられない。それならそれで、その厄介さが先に判ったことを幸いとカウントし、対策強化を構えればいいだけのこと。
「それにしても…闇の眷属とはまた、大きく出たもんだよね。」
小者だからこそ大地とのよしみを許されて、既に陽界で闊歩しているような陰体を招くなんてレベルじゃあなく。正真正銘“魔界”の存在を招くための門を開けようとしているとは。
「どれほどの者を招くつもりなのかな。」
ぽつりとつぶやいたのが葉柱で、投げやりだったり案じたりという口調ではないところは、さすが、意欲も覇気も萎えてはいないということか。
「邪妖との契約には慎重さが必要だ。大概は自分より寿命が短いものを相手に“自分が死ぬまで”という契約を結ぶ。そうすれば、相手だって思わぬ長命が保てる訳だから、必死になって守りもしよう働こう。」
それが式神を持つ術、封魔傀儡の咒の基本、なのだが。
「闇の者は大概、意志や自我とそれから、使命を持つ存在だ。負界の暗黒の覇王を唯一の主上とし、直接の忠誠を捧げ、使命を帯びての暗躍をしていて。膨大な咒力を授かっているか、暗黒の覇王がその負力を蓄えし負界の亜空“虚無混沌”に直通となれる門を開くための咒詞を知っているか。そこいらにいる…殻器を持っちゃあいるが妖力は知れてる小者の陰体とは格が違う。」
普通、封印の導師が陰体の式神をアテにするのは、使える咒の属性へ。咒力はむしろ術者自身の持つパワーの方が勝るので、大きな咒を繰り出す場合、式神は盟主からのブーストを受けて出力の大きな力を発揮するのであり、いわば“変換器”扱いになる。ところが、咒力自体が大きな邪妖と、それと気づかぬままに契約してしまったら。
「闇の者が陽界で何としてでも必要とするのは“殻器”だ。それも、心身共に頑健で、虚無海への門を開く素養を少しでも持つ者がベスト。」
先の騒動では、皇太后様が抵抗空しくその身を乗っ取られてしまわれた。巫女の血統でおいでだったところを付け込まれ、気配を探ろうと集中なさっておられた隙をあらぬ方から衝かれての、心への侵入を許してしまったのだそうで。
「だが、わざわざの召喚だってことは、呼んだ者の望みをまずは果たすってのが第一条件だろ。」
召喚した者の望みを聞くとか服従するとか。相手からの制御をある程度は受けるという誓約を結ぶのが、準備されし殻器に宿るための交換条件でもある筈だと、桜庭が言葉を挟んだのへ、
「だから。くどいようだが、あまりに力のあるものを招いてしまったら?」
葉柱ががっつりと頼もしい肩の上で首を傾げて見せた。召喚のための道標、巫女や導師がまんま“寄り代”として乗っ取られる話は珍しくはない。修行の未熟な者が中途半端な咒で、自分では制御出来ないクラスの大物を招いてしまうと起こる悲劇で。だがまあ、そんな未熟者では殻器の強度も知れていようから、長引く大事になりはしないという…随分と日和見的ながら、楽観的な解釈もギリギリ出来ないではないのだが。当然、今回の場合はそんなケースと一緒くたにする訳には行かず、
「今回の場合、召喚士と“寄り代”候補は別なようだから。それだったら何とか…大きなものを呼び立てても、制御の方法はあるのかも。」
蛭魔がその細い眉をキリキリと寄せて苦い顔をする。幾星層もの時を越え、廃れもしないままに伝え続けた秘伝の何かか? それをこそ、一族存続のための、生き延びるためのよすがにしていた彼らだったのなら、絶対にあり得ないとは言い切れない。
――― そして、
「闇の者そのものを召喚するということは、こっちとは真っ向から対立する気、満々だってことでもあるよな。」
陽咒の白魔法であれ黒魔法であれ、風や水、大地の咒ならどんなに大きかろうと相打ちか互角。炎眼とやらの素養でもって、闇の負咒を無尽蔵に速攻で繰り出せる有利を発揮出来れば、癒しや回復が限定される不利を追ってもなお、優勢にだって立てる連中だと判ったばかり。ただ…闇を凌駕する光、絶対的な相性の問題で天敵となるだろう陽白の光を束ねし存在がこちらの陣営にはいて。そんな莫大な力に押さえ込まれぬようにと構えての、何物かの“召喚”であるに違いなく。
「復讐、なのかもね。」
「祖先が陽白の一族に手折られたことへのか?」
それだけ、なら、こうまでの行動は取らないと思う。それから始まった苦難の歳月があるとか。今現在もなお、苦境にあるなら尚のこと。それが一体誰のせいか、何のせいかという答えを、何かへ据えて睨みたくもなろう。どうにも歯が立たない相手へ完膚無きまで負けて挫折した奴が、そんな理不尽を放置する社会が悪いのだ…なんていう でかくて曖昧な思想に走るのはよくある話で。
「恐らくは、そんな薄っぺらなことではなかろうけれど。」
とはいえ、故郷を追われたという浅からぬ怨嗟は伝えられ続けたことだろうし、それが一族の団結の絆を固めもしたろう。そして今、闇の咒に手を出そうとしている彼らだというのなら、
「一緒に滅した陽白の一族が、されど未来さきの脅威を払うためにと託した“光の公主”の、やっとの降臨を知っている以上。言い方は悪いが、破れかぶれになっているのかもしれない。」
自分たちの絶対的な強さを。膂力のみならず、今時の…咒に抗う力が弱くなりつつある人々の心を、易々と搦め捕って封じることの出来る力をも、物ともしない強大な存在がいる以上はと。かつてのように滅ぼされぬよう、いっそ先手を取って薙ぎ払ってしまおうと構えているのかも知れず、
「だとすれば。こっちにも…少なくはない覚悟がいるのかもな。」
完膚なきまでという叩き合いになだれ込むなら、相手の立場もこっちの傷や犠牲にも構ってはおれぬ、と。淡灰色の鋭い眼差しを動揺や迷いに揺らすこともないままに、黒衣の魔導師が低い声で呟いたのへ、
「………。」
「………。」
あとの二人もそれぞれに、思うところはあったろに。言葉にしてまでは何とも…言い返すことが出来ぬほど。そうと言い切った彼の気概の重さを感じ入って黙り込む。いよいよの正念場。それをひしひしと感じていた彼らであった。
◇
「進さんは。
人質とか戦力削減のために攫われたんじゃなくて。
寄り代って存在だったから、炎獄の民の人たちに探されてたんだって。」
物事には往々にして、判ったことで希望が見えて、勢いや弾みがつく事実と、判った以上は難関だと数えねばならぬ、厄介な事実とがあるもので。グロックスの正体が判ったと同時に明らかにされた“事実”は、頼もしい戦力であり守護でもある導師様たちだけでなく、こちらの彼へも少なくはない衝撃を与えており。
『………ちょっと、外の空気を吸って来ます。』
ふらふらっと、覚束無い様子で立ち上がって、そのまま温室の外へと出ていくセナ王子には、当然のことながら独りになぞ出来ないからと、桜庭や葉柱がついて行く構えで立ち上がったものの、
『…やめとけ。』
意外にも。蛭魔がぼそりと呟いてそれを引き留めた。
『ほんの数歩ほどもない距離を取ったくれぇで、あっさり掠め取られたり殺させたりするほどに。俺らを奴らに舐めさせてぇのかよ。』
そんなに心配なら、いっそ腕に抱えて四六時中あやしてりゃあいいんだと、そこまではさすがに言わなかったものの。あまりの衝撃を抱えてしまい、少しでいいから落ち着きたいのだろう…独りになりたいのだろう、そんなセナの気持ちを考慮してやっての計らいへ、残りの導師たちも渋々ながらも従ってくれて。また泣いちゃうとか思われたのかな。せっかく覚悟を決めたのに。戦うんだって意識を固めて戻って来たのに。その鼻先で進さんのこと告げられて。またしても しょぼんて、肩を落としたいのかなって、しょうがない奴だが、か弱いのだから仕方がないよなって。叱るのがお役目の蛭魔さんでさえ、可哀想にって思ったのかな。
「………。」
何かが起こるたび、何かが判るたび、いちいち打ちひしがれたり動揺したり。それじゃあ進歩がないってもんだよね。
「………。」
最初の日。攫われて行方が知れないって判った進さんが、けれど一回だけ、目の前へ現れて。修羅場の混乱の中、しかも何かしらの暗示をかけられてもいて。それでも…名前を呼んだらそれが解け、はっきりとボクのことを見て下さってて。なのに今度はご自身の意志から、ボクのこと突き放して。
「………。」
あの時にね。泣きそうになったボクへ、葉柱さんはこう言った。
『…とりあえず、元気で無事ではあったようだな。』
元気そうだったじゃねぇかと。封咒の達人は人の心を解放するのもお得意で。切り裂かれそうになってた心がふわんって暖かくなって、何とか立っていられたの。だから、今度は、自分で自分を励まさなきゃ。寄り代にって探されてた人なんだったら。
「だったら、進さんはご無事なんだよね。」
向こうの人たちにとって、邪魔なんじゃなく必要な人だったのだから。だから攫われたのなら、きっと無事でいる。だから、
「早くボクらで助けて差し上げないと。」
だって、向こうの人たちだって、逃げないようにって引き留めるのに必死でいるだろうから。力も意志もお強い進さんだから、どんな手を使ってでもって、咒とか使って強引に押さえ付けられているのかも知れなくて。
「だから…早く。早く助けて差し上げないと…。」
ふみゅう〜と。心配そうな声で時々鳴きながら、仔猫のカメちゃんが見上げている、小さな公主様の頬には、あのね? 後から後からこぼれて止まらない、大粒の涙がすべり下りた跡がいっぱいいっぱい光ってて。でもね、萎んでる場合じゃないんだからって、一生懸命に自分を叱咤しておいでだと判る。どうしようという不安に押し潰されそうになってなんかないって判るから。すぐ傍らの温室においでの導師様たちも…それを察して出て来ないのだしね。春まだ浅く、曖昧な青をした空から降りそそぐ柔らかな陽射し。椅子代わりの古い切り株にちょこりと腰かけている、小さな小さな公主様のやっぱり小さな肩を暖かく照らして、どうかどうかと励ましている。あの騎士様が齎していた、力強くも大きな安心には到底足りなかろうけれど。どうかお顔を上げて下さいと。どうかお元気になって下さいと。柔らかな髪を甘く暖めて、わたしたちの大切な和子よと囁きかけているかのように………。
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*またぞろ、小理屈の章になってしまってすみませんです。
でも、そういう下地も固めておかないと、
何より書き手がお馬鹿なもんで、
あれれぇ?それってどういう理屈?なんてなことになりかねませんで。 |